残るものが例えば「君がいた証」であったのならば、俺はそれを必要としないと思う。否、思うんじゃなくてこれは願望だ。思う、と言うより、思いたい。君がそこにいなくて、その代わりに君がいた証だけがまるで残り香のように漂うのだとしたら、俺はそれを必要としない。そう思いたい。本当は君そのものが好きで、君そのものをここに残しておきたくて。けれどそんなエゴを持つ事なんて許されてなんかいない。俺には。
冥界に昼夜の区別なんかない。いつの間にかそんな風に出来ていたから。
俺が目を覚ましたその時が朝になり、俺が眠るその時が夜になる。人道でいうなら大体こんな感じだ。こういうとまるで俺がこの冥界を掌握しているようだけど、そんな訳じゃない。むしろそうであったならどんなに良かっただろうか。
確かに俺が来た時はここはこんなに明確な形を持っていなかった。例えるなら生まれたての宇宙と言ったところか。俺自身が生まれたての宇宙を見た事がある訳じゃないからこんな事を言うのも変だけど、とにかく、上下左右遠近、どこを見回しても真っ暗だったのは微かな記憶にある。ただ、それが本当に俺自身の記憶かと聞かれるとそこは非常に危うい訳だけど。
それはともかく俺が来てから冥界は形をなし始めた。これは事実。かと言って俺が作ったんじゃない。
俺はいわゆる鍵であって種である、たったそれだけ。
俺というものがここにきたことによってここは冥界になった。六道というものも生まれた。そしてその中の人道と呼ばれる、いわゆる人間の世界から来た死人が俺を閻魔大王と呼んだから、俺は閻魔大王になった。それだけ。
感情というものは分かっていたのかいなかったのか。とにかく一人でずっと閻魔大王として死人を左右に振り分けてきた。
右は天道、いわゆる浄土。
左は地獄、いわゆる穢土。
本当はそんな左右に振り分ける如きじゃ済まないんだろうけど、それが俺の役目だというなら仕方ないじゃない?役目を放棄したらどうなるかなんて知らないけど、人道からきた死人が俺の生みの親のようなものなのだから、そこから死人が来なくなってしまえば俺と言う存在は消えてなくなるに決まっている。だからきっと役目を放棄すれば消えてしまうんだろう。
確か前に人道からきた死人がそれを思想だと言っていた。となると俺は思念体と言う事になるんだろう。
それはともかく、閻魔大王は寂しかった。寂しかったのだ。本人が思想の塊のくせして、いっぱしに人道から流れ来る人間のような感情を抱いた。馬鹿みたいじゃない?馬鹿みたい?よく分からないけどとにかく俺は寂しかったんだ。
だから俺は何かが欲しかった。傍にいるなら何でも、それこそ微生物でも良かった。(いや、微生物だと見えないか……)
そうして寂しさを紛らわすために俺はモノを作った。人道から来る死人のような、話相手に困らないモノ。名称は特にないけど、とにかく話相手になってくれて、傍にいてくれて、いわゆる温度が感じられて、とにかく俺がないモノをみんな持っているモノ。
それを人道から来た死人のひとりが鬼だと恐れたから、彼らの名称は鬼になった。鬼と呼ばれたなら人間とは違うモノにしよう、そうして俺は彼らに角をつけた。髪の色や目の色も人間とは違うようにしようと意識した。俺はやがて一人じゃなくなった。
鬼は勝手に生まれるようになった。それがいつだったか覚えていないけど、創造主の手を離れるとはこういうことを言うんだろう。別に傍にいてくれるのに変わりはなかったけど、それを知った俺はなんとも言えない気持ちになった。この感情の答えは未だにわからない。
そして数多の鬼の中から俺は秘書を取った。取ることにした。仕事がひとりじゃさばききれなくなったのもあるけど、何より離れたモノを自分の手の内に戻したかった。のだろう。
秘書となった鬼は俺の傍でよく働いてくれた。俺は寂しくなくなった。いつしかその鬼は「モノ」じゃなくて「者」になった。鬼に感情移入したって訳だ。傍から見たら可笑しい事この上ないのかも知れないけど、「寂しかった」俺にはこういう感情は当たり前のような気がしてた。
ただそれは、今考えたら偽りだったんじゃないかと思わずにはいられないくらい、幼くて馬鹿みたいな感情だった気がする。離れたくない傍にいて欲しい自分のものだけでいてほしい。その感情が当時傍に居た彼或いは彼女をどれほど傷つけたのか。
求めれば離れていく。追いかければすり抜けていく。縛る事は出来ないしその権利もない。だからもう俺はそれを求めることを諦めた。許されていないんだと思った。好きになることも愛することも俺には許されていないんだと悟った。
俺は冥界の主。俺は平等でなくてはならないモノ。そう生みだされた思想なんだと。そうやって自分を慰めながら、彼らと向き合って触れ合っていくうちにそういった感情と呼べるものを全部捨ててたんだろう。無意識に。
だから初めて鬼男くん、君が秘書になった時、君は俺をヘラヘラ上辺だけの嫌な奴だと思ったでしょ?実際俺も上辺だけできみと接していたようなものだから、そう思われてても気にしなかったんだけどね。
君はとても優秀な秘書だったね。それだけじゃなくて、俺が生み出した鬼の中でもひときわ異彩が目立つ子だった。
君はとにかく変わった子だった。良くも悪くもね。
そんな君と触れ合って俺は久々に楽しいって思ったんだ。本当はいけないことなのに、俺はまた、君に愚かな願いを抱き始めたんだよ。傍にいてほしい離れたくない自分だけのものでいてほしい。ってやつ。
馬鹿だね俺は。そんなこと願っちゃいけなかったのに。
残るものが「君がいた証」だけでしかないのなら、俺は要らない。君自身が残ってほしい。
けどそれは俺が願うことじゃないし願っちゃいけないことだから。だから俺は君が行くならそれ相応に見送ろうなんて思っただけ。それが君を傷つける事になっても良かった。
どうせ君は俺を忘れる。そして俺もいずれは忘れていくだろうから。
だから君が、いきたくないって言いだした時は正直、何この子、なんて思ったし、実際にそれを表に出したりもした。これは素直に謝る。本当にごめんね。あれは君のぶっきらぼうな優しさだったんだね。
君はそれでも居たいって言うから我儘は駄目なんて言ったけど、君をそんな風にさせたのは俺。俺がそんな気持ちを抱かないように接していれば、きっと君は今まで就いた秘書のように輪廻に乗っていったんだろう。
けれど俺は君と一緒にいたいと、離れたくないと願ってしまって、それを君が聞いてしまった。そのせいで君にはすごく辛い思いをさせてる。本当にそれだけが、今の俺には辛くてしょうがない。
でも君は「大王の方がずっと辛いじゃないですか」なんて、そんな風に笑うから。俺はますます離したくなんかなくなって、けれどそれが叶いそうもない現実に、ぎゅうっと胸がくるしくなる。
いっそ君がいく前にその思いをなかった事にしてしまえれば。君は初めからいなかったんだと思えれば。
そう考えれば考えるほど行動にそれが滲んで、そして裏目に出てしまう。それを知っていたけど俺はこの胸の苦しみを紛らわす方法がこれ以外にないのだと信じ切っていた。
結局俺が考えていたのは、君との事じゃなくて俺自身の事。君の気持ちを見ないふりして、俺ばっかりが楽になろうとしてた。君だって同じように、ぎゅうっと苦しい思いをしてたに違いないのにね。
君を離したくない。けど離れてしまうから君と話したくない。話せばきっとますます別れがつらくなる。そう思ってたせいで、君が苦しむのを見過ごしていた。
君は苦しいのを我慢して最後まで俺の傍にいてくれたのに、どうして俺は君がいなくなる数十時間前まで気付けなかったんだろう。そればかりが辛い。
いまさらそんな事言っても君は帰ってきやしないのに。
俺はいつまでも君といたいんだ。それが正直な願いだったはずで。
君もそれに答えてくれていたはずで。それを見なかったのは俺で。
気づいて力いっぱい抱きしめたら、君は泣きながら笑って、「やっと気づいたのかこのボケイカ」なんて。
俺もその時はきっとすごく泣いてたんだと思う。
ごめんね。ごめんね鬼男くん。やっぱり俺は君が大好きなんだよ。君が傍にいなきゃ嫌なんだよ。叶わない願いなんだよ。辛いよ。鬼男くん、鬼男くん。大好きだよ、だいすき。大好きだ。
傍にはもう置けない、だからせめて俺が好きだったってのを俺に刻ませて。君を好きだった俺を君の中と俺の中に残させて。いずれ消えると分かっていても足掻かせて。
君が消える数十時間前に気づいたこの思いを吐き出した。
それを俺の中にあるはずもない骨に刻んで、根を張るように。そして君の骨、たとえば心臓がある肋骨辺りにおとして根を張るように。いずれこれが俺の中で苦しみを呼ぶだけのものになったとしても後悔なんかしないと。
そうして今、君が消えてしまった今、俺は君にありがとうと言うよ。
君に出会う事がなかったら、俺はきっとずっとただのエゴと思想の塊でしかなかっただろうから。
俺を「人間」にしてくれて、ありがとう。鬼男くん。
君が大好きだ。鬼男くんが大好きだ。傍にもう置けない代わりに俺はその思いを、忘れてしまうまでずっとこの思いをとどめておこう。たとえそれが俺の存在を危ぶませるものになったとしても、俺は絶対に後悔なんかしないから。
そしてまたいつか、もし会えて、そして互いにまた惹かれあったなら。今度はきっと建前なんか関係なく鬼男くんを好きだというよ。だからその時は、いつも君がしていたように、馬鹿かなんて笑いながら。
「君が新しくこの閻魔庁に来たっていう子?」
「はい」
「あーあー、緊張しなくていいよ。こう見えてもオレ、フレンドリーだから」
「……」
「で、君の仕事なんだけどさ」
「は、はい!何でもやります!」
「そんなしゃちほこばらなくたっていいんだってば。可愛いなー新人って。うちの古株も見習えばいいのに……」
「あ、あの……?」
「あぁごめんごめん、こっちの話。うーん、そうだねぇ……君は……」
「オレの秘書で」
***
前に友人と閻魔は何かということについて話した時に、
「人間が作り出した思想の具現化じゃないか」
って意見が出て、それに激しく同意した。そういう閻魔もありだよね。
それをふと思い出したから、今回の閻魔は元人間とかそういうのではなく、思想の具現化という形をとってます。
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