「うーん、風が気持ちいー」
青かった空にじんわりと、橙色が染みわたる時刻。人気も少ない公園でブランコを揺らしながら、閻魔は満足そうに言った。
「いい歳してそんなもん乗るなよ」その傍らにある子どもらが遊ぶであろうアスレチック風の遊具に寄り掛かり、彼が秘書である鬼男は溜め息ひとつ。「て言うか、本気なんですか?」
「何が?」
「ここで暮らすって」
鬼男が灰色の目を、どことも知れない場所へ向けて言う。
閻魔は変わらずブランコをこぎながら、
「本気だよ」
「……でしょうね。そうじゃなきゃわざわざタブーなんかおかしませんもんね」
はぁぁ、と溜め息が漏れる。お前ってやつは本当に云々…という文句が、今にもその溜め息の中から抜け出して閻魔へ殺到しそうなくらい、憂鬱な色を孕んで。
「タブーねぇ」
ブランコをこいでいるせいか、閻魔の声が先程から遠かったり近かったり聞こえる。それを見ないまま、タブーじゃねぇかよ、と鬼男は呟いた。
「オレが人道に来るのはまぁ、確かにタブーだろうけどさ。タブーってのはやっちゃダメって言う注意な訳でしょ?別にダメなだけで絶対的な禁忌とは違うし、そもそもそういうタブーの概念ってオレには関係ないと思うんだよね。だってそういうタブーをオレはむしろ人間に言い渡す側なわけだしさー」
「……」
屁理屈だ。そう言いかけた言葉を呑み込むかわりに、もうひとつ溜め息をついた。
そういう「屁理屈」に、もう何度鬼男は付き合ってきただろう。ある時は鬼男の過去を引きずりだすとかなんとかと抜かし、ある時は夏祭りに出たいと駄々をこね。そして今回はこれである。
自分の立場を理解していれば、自重しなければならないはずの数々を、しかしこの閻魔大王と言う存在は全くしようとしない。いい加減にしろなどと怒鳴っても、どこ吹く風であった。
しかしまさか、本当に人道で暮らしたいだなんて。
「まともな神経持ってたら思いつかねぇよそんな事」
きゃっほー、と傍らでブランコを楽しむ閻魔を一瞥し、鬼男は独りごちた。
人道へ遊びに行きたい。そう言いだしたのが、ここの時間で言うちょうど一週間ほど前。何を馬鹿なことを、とその時こそ流したが、今思えば止めるべきだったかと静かに後悔する。無論遅い。
鬼男にしてみれば、人道など大して面白いとは感じなかった。現在でも「百鬼夜行」という名称で伝わっているらしい行列に「お守役」の代理で何度か訪れたが、いずれもその時はどこも静かで、味気のない場所だというイメージしか持てなかったのである。
最もその時の鬼男は、人道見学よりも「子守」の方に忙しくて、まともに見られなかったのだが。
「あ」
ぶおんぶおんとブランコをこぐ音に混じり、閻魔の呟き。
それに今度は何ですかと目を向ければ、見てみため池に鳥がいるよー、とまたも近くなったり遠くなったりする声で閻魔は言った。
「池に鳥がいるのって別に珍しくもなんでもないでしょうに。そんなに珍しいんですか?」
「でもあれって人工物でしょ?スロープついてるし有刺鉄線はあるし鉄の囲いも策もあって」
「人工物だと鳥がよらないってわけでもないでしょ」
「オレはそういうの初めて見たんだよ」
「そうですか」
興味なさげに返事をする。鬼男君淡白ー、という声がまた近くなり遠ざかった。
誰のせいだよ。とたまらず怒鳴りたくなる衝動を堪える。ここで怒鳴ったりなどしたら、今後ずっと閻魔のやることなすことに怒鳴り続けなければならない気がしたので。
その代わりに寄りかかっていた遊具から体を浮かせ、溜まる一方のストレスを紛らわせるように公園の中を歩いた。
子どもが走り回るには広いが、大人が遊ぶには狭いであろう公園。そこに大の男二人で、しかも片方は本気で遊んでいるときている。
絶対にこれは不審者だ。て言うか僕だったら不審者としか見えない。そんな事を思いながら鬼男は、公園の植え込みを囲う手すりまで歩み寄った。
植え込みから下は急斜面で、その下には先程閻魔が言ったため池とやらが、鉄柵に囲まれた中にある。しかしその場所は、ため池と言うにはあまりに水が少なく、スロープの下に申し訳程度に水らしき揺らぎが見て取れる程度だった。
そのスロープの下、水と言うよりも苔生した場所というべきであろうそこに、白い鳥が優雅に佇んでいた。
「ね?見えるでしょ?」
「……ここ、ため池ですか?どう見ても苔の群生地ですけど」
「看板にため池って書いてあるんだから、ため池なんじゃね?」
ほら、と閻魔が示す先に目をやる。なるほど確かに、遠くの方、紙きれと見まごうほどの何かが、ため池の入口らしい錠のかかった門の前に掲げられていた。そこには粟粒のような文字で、『ため池 私有地につき無断の立ち入りを禁ず』という類の文字が浮かび上がっている。
「よくあんなもん見えますね」
「そりゃあオレは閻魔ですから」
「はいはい。大王はすごいですねー」
「何その投げやりっぷり」
どこか不満げな声が、ブランコから投げられる。投げやりにもなりたくなるでしょ、と鬼男は、閻魔の方を見ないままで答えた。
「閻魔大王が人道に行きたがるだけでもこっちは腑に落ちないってのに、更に暮らしたいまで言われちゃ」
「そんなに長くは開けないよ。さすがに」
「期間の問題じゃなくて自覚が足りねぇって事を言いたいんだよこっちは」
「自覚、ね」
よっ、と声が聞こえる。それにようやく振りかえった鬼男の目はしかし、閻魔の姿をとらえることはできなかった。
その代わりに、誰かがついさっきまで乗っていたブランコが、名残惜しげに夕方の中揺れていた。
「そうは言うけどさ」
続いてすぐ傍で声がした。
視線を戻してみれば、いつからそこにいたのか、自分の隣で手すりに立つ閻魔の姿。
「ちょ、あんたそこ危ない」
「だったら、どうして君はオレについてきたわけ?」
すっかり橙が青を食らった空の下、閻魔の顔は影になってよく見えない。
ただ、少なくとも馬鹿にしたり嘲っているわけでは、ないようだった。
恐らく、純粋に問いかけているのだろう。
「いつもの君なら、オレをぶっ刺してでも止めたでしょ?でも今回は止めなかった。僕も一緒に行きますなんて言って。なんで?」
「……別に」
「理由がないって訳じゃないでしょ。だって鬼男君、人道の話とか普段からしたがらないし。嫌いなんじゃないの?ここが」
「嫌いって訳じゃないですよ。進んで行こうとも思いませんけど」
「そうでしょ。君にはオレと違って、人道に行きたいって強い衝動なんかないはず。なのに別段オレを止めるでもなく、むしろ一緒に行くなんてどういう風の吹き回し?」
さあっ、と傾きかけた日が、閻魔の顔にかかる影をぬぐい去る。
閻魔はあくまで、にこにこ笑っていた。確かめるような響きの問いかけを、鬼男に寄越しておきながら。
「そうですね。どういう風の吹き回しでしょうか」
鬼男はふっと灰色の目を細める。諦めとか後悔とか、そんなものを一緒くたにしたような、不機嫌な雰囲気を醸す目。
だが、その顔はどこか満足そうにも見えた。
「普通なら止めるべきなんでしょうが、どうせ止めてもあんたはいずれこうして、抜け出すつもりでしょ」
「さっすが鬼男君!よくわかってる~」
「茶化すな。……それに僕は、大王の秘書ですからね。お供するのが当然だと判断した訳です。何か文句は?」
「……」
今度は閻魔が黙り込む側になった。ぽかん、と、呆けた顔で。
何間抜けづらしてんです、と鬼男は静かに笑った。
「……あー、うん。なんだ。まぁ、確かに君はオレの秘書だし。ついてくるのは、うん、当然。だよ、ね」
「僕の勝手な判断ですがね。大王が邪魔だというなら大人しく戻っ」「戻らなくても結構!」
閻魔はきっぱりと言い放ち、手すりから音もなく降り立つ。
そして改めて、鬼男へ向き直って。
「じゃ、お供よろしく」
にかっと笑みを返した。
「はいはい」
鬼男もそれに、呆れたような笑みをこぼす。
満足そうな閻魔は殆ど同じ目線の鬼男に、今までで一番綺麗な笑みを見せながら、
「そうだ。じゃあ、オレのお供をしてくれる鬼男君にだけ、教えてあげる」
「何をですか」
「オレが人道に来たいっていったり、暮らしたいってわがまま発揮した理由」
くるくるー、と言いながら閻魔は公園の中を廻る。いい大人が止めろよ、と鬼男が呆れるのをよそに、閻魔は鬼男から少し離れた場所で止まった。
そして、相変わらず笑みを絶やさないままで、続けた。
「ほんとはね、出られないってわかってるんだよ。永久にオレは、あの場所から出られないってわかってるんだ。だからほんとは、君にオレの分まで見てもらおうかなって思ってたんだよ。人道のこんな景色とか、オレは見られないから」
「……」
「それに、一度はしがらみってものから解放されたかったんだ。これもほんとは願っちゃいけないんだけど、君が」
「僕が……何ですか?」
「………なーんでもない!」
あはは、と笑いながら閻魔は、公園の外へ駆けていく。
こら待てこのイカ野郎、と鬼男はそれを追いかけた。
黄昏ブランコ
(願いを抱いちゃいけないオレと、そのオレに願いを抱かせる君の)
***
タイトルセンスがないにもほどがあるだろう私……。
いや、草稿では「黄昏に歌う」でしたが、別に歌ってる雰囲気はないかなと思い思案した結果、ブランコ描写が濃いしこれでもいいかな、と、か……orz
もう、ほんと、すみません。
シリーズ化するとしたら、どの話から読んでも違和感がないように書きたいです。
その前にシリーズ化するのかどうかもあやふやですがorz
ここまで読んでくださりありがとうございました!
お腹すいたー!←
[0回]
PR