「妹子、ごめんね」
目が覚めた時真っ先に聞こえたのは、そんな風に揺れる聞きなじんだ声だった。
ふらふらとさまよう視線を何とか合わせようとする。ぼやけた像がだんだんと線を結んでいって、かちり、と頭の中で何か填まったような音がしたかと思った瞬間、ぼろぼろ泣いてる太子の顔が飛び込んできた。
なんでアンタが泣いてるんですか。て言うかなんで僕がずっと眠ってたからってそんなに泣いてんですか。
「ごめんね。ごめんね」
「……太子。別に怒ってなんかませんってば」
ぱたぱたぱたっと落ちる涙を拭ってやろうと手を伸ばす。
けれど太子の頬を際限なく流れ続けるそれを掬うはずの手はずっと床に縫い付けられたままで、あれ、変だな、と感じた。
感じてから、思いだした。
そういや僕、太子を奴らから守るためにこんな山奥の納屋まで逃げてきた、んだっけ。
「妹子がこんな怪我しなきゃいけない理由なんか、なにひとつないのに」
「太子」
「私が妹子とずっと一緒にいなかったら、巻き込まなくても済んだのに」
「太子」
「ごめん、本当にごめん、妹子。私のせいで、私が……」
「……」
ぱたぱたと落ちる滴が乾いた床の色を変えていく。
がりっと床を掻く音に目を向けたら、太子の指は爪が割れて、血がにじんでいた。
……体の自由が利かないことを、今ほど憎らしく思ったことはない。
今の僕には、太子の手を取ってやることはおろか、ずっと流れっ放しの涙さえ、掬ってやれないなんて。
「……妹子。これが終わったら、もう私の傍なんかにいなくていいから」
静かに響いた声が、心臓を凍らせる。
何を言うんだこのアホ摂政は。言いかけた言葉は、けれど冷たいまま喉につっかえて出てきやしなかった。
太子は泣き笑いの顔をこっちに向けて、僕の頬を撫でた。
ゆっくりと。
「私はこの後からずっと、ひとりで生きることにするから。妹子も、私になんか構わなくて、いいからな」
「っ……」
焼けつくような「なにか」の熱さが、内側を焦がしていく。
何なんだよ。何を勝手なことを言うんだよ。何を勘違いしてるんだよ。アンタは。
「妹子は関係ないんだし、怪我が治ったらこっから都に行くんだ。そして、」
じりじりじり。脳髄が焼き切れる音がやかましくて、太子の言葉が上手く聞こえない。
言いたい事がたくさんある。そのせいで頭が痛い。
だけどそれとは裏腹に、心臓はずっと凍りついたままだった。
「聖徳太子は死んだって、伝えて」
太子の涙はもう、止まっていた。
あとには僕の知らない「聖徳太子」が、僕の知らない微笑みを浮かべて、そこにいた。
「っ…けんな……」
「妹子?」
食いしばった歯の隙間から声が漏れる。
そうなったら後は、楽に言葉があふれ出てきた。
「っざけんなよアンタ!さっきから黙って気いてりゃ好き勝手言いやがって、僕の意見は総無視かこのアホンダラ!」
「だ、誰がアホンダラだ!私はただ妹子のことを考えて……」
「僕がいつそんな事を頼んだってんだよ!アンタいっつもいっつも自分本位に考えてるけどな、僕だって僕なりに考えて行動してるに決まってるでしょうが!」
「っけど、私が妹子の傍にいるから」
「それが勘違いだって言ってんですよ」
最後の言葉は、自分でも驚くくらいに静かだった。
起き上った体の骨と言う骨がきしむ。けれどそれより、胸の奥が冷たすぎて、痛かった。
「僕が誰かの命令でアンタといっしょにいると思ってんでしょうが、アンタの傍にいるのも、僕がアンタを守ってこんな怪我してんのも、全部まぎれもなく僕が決めた僕自身の意思です。勘違いも甚だしいんですよ」
「けど、」
「アンタがこれ以上何を言おうと、僕はアンタが言ったさっきの命令なんか聞きませんからね。僕は確かにアンタの部下かも知れない。だけど、アンタが僕の上司だからって、僕の意思まで自由にさせるような権利を丸ごとそっくり渡した訳じゃありません」
「……」
太子はすっかり黙り込んで、俯いてしまっている。
病み上がりの体でここまで言った僕も、ぜぇぜぇと息が切れていた。
「いいですか。間違っても二度と、僕の前で、同じような事を口にしないでください」
「……」
「僕がアンタといるのは、誰に言われたからじゃない。命令だからでもない。僕自身が望んで、アンタの傍にいる。紛れない僕自身の意思で、アンタの傍にいるんです」
「……」
「太子。お願いです。僕を傍に置いててください。僕の心は決まってるんです。お願いです」
今まで俯いてた太子が、ふいと顔をあげた。
また目が潤んできてる。このオッサン、こんな泣き虫だったっけか。
「……いいのか?」
「くどいですよ」
「私の傍にいたら、もしかしたらまたこんな怪我するかも知れないんだぞ?」
「それじゃ、次はもうちょっと軽い怪我ですむように鍛えておきます」
「もしかしたら、死んじゃうかも知れない、のに」
「どうせ人間はいつか死ぬんですから、いつ死のうと一緒でしょ」
「……妹子…」
また、太子が泣きだす。けれど今度は腕をあげて、涙を拭ってあげることができた。
骨が軋むような音がした気がしたけど、聞こえなかったことにする。
「太子」
「うん…わかってる。わかってる」
「……」
さっきの問いかけに対する答えがまだです。
そう言おうとしたけど、僕の手を握ってくる太子を見たら、別にいらないかと、そう思った。
夢を見させてください。
(貴方の傍にいたいんです)
***
遣隋使でシリアス気味に。「夢みることり」を聞きながら書いていたら、切ないんだかほのぼのなんだかよくわからない雰囲気になってしまいました…orz
というか、タイトルとかみ合っていない。すみません近いうちにタイトルを変えます;
妹子は男前だと信じて疑わない。
太子もびっくりするくらいの男前な妹子がツボです。男前部下って(パン)いいよね!(パン)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
次は遣隋使でもほのぼのを書きたい……!
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